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静岡市葵区番町地域の歴史

2025年2月23日

こんにちは。白髪染め専門町美容室の「6color」です。

世間は三連休ですね。極寒の三連休とは言われていますがここ静岡市は有り難いことにそこまでの底冷えにはなっていないと思われます。

今回は番外編として6colorの位置する静岡市葵区番町地域の歴史を記してみます。まずは戦国時代あたりから。
それではどうぞ!

静岡市葵区番町学区の戦国時代を中心とした歴史について解説します。

戦国時代の駿府と番町学区
* 駿府城と徳川家康
  * 番町学区は、戦国時代には駿府城の城下町の一部でした。駿府は、徳川家康が長く過ごした地であり、重要な拠点でした。
  * 家康は、幼少期、青年期、そして晩年と、三度にわたり駿府に在城し、この地から天下統一を目指しました。
  * 駿府城を中心に、城下町が整備され、番町学区もその一部として発展しました。

* 城下町の構成
  * 城下町は、武家屋敷、町人地、寺社などが配置され、番町学区周辺には、家臣の屋敷や町人の居住区があったと考えられます。
  * 家康は、駿府に多くの職人を呼び寄せ、産業を奨励しました。そのため、番町周辺は様々な職人の町として栄えた可能性もあります。

* 家康の晩年と駿府
  * 家康は、関ヶ原の戦い、大坂の陣を経て天下を掌握した後、再び駿府に戻り、大御所として政治を執りました。
  * 駿府は、江戸と並ぶ政治の中心地となり、多くの人々や物資が集まりました。
  * 家康は駿府にて慶長12年(1607年)に駿府城の築城を開始しました。その影響は番町学区にも大きく影響を与えたと考えられています。

* 番町の由来
  * 番町の名前の由来は駿府城の警護の武士が住んでいたことに由来します。
  * 駿府城の警護は交代制であり、その順番が番号で割り振られていました。その武士たちが住んでいた場所が、一番町、二番町、三番町、四番町でした。

はい。というわけでした。やはり家康が造った町だったようです。武士が住んでいた町だったとは…。少々驚きました😲

今回も最後までご拝読頂きましてありがとうございました。

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